「伊藤蘭の実家はお金持ち?」
伊藤蘭さんは、1970年代に活躍した女性アイドルグループ「キャンディーズ」のメンバーで、
「ランちゃん」の愛称で親しまれていました。現在は女優、ナレーター、歌手として活動しています。
当記事では、伊藤蘭さんの実家について、詳しくまとめてみました。
- 伊藤蘭の実家がお金持ちと言われる理由
- 伊藤蘭の実家はどこにあるのか
- 伊藤蘭の家族構成・エピソード
伊藤蘭の実家はお金持ちと言われる理由3選!
伊藤蘭さんの「蘭」という名前は、蘭の花が好きだった祖父が名付けました。
また、油絵画家の祖父の雅号はなんと「伊藤蘭」だったそう。蘭の花が本当にお好きだったんですね。
雅号(がごう)は、文人・画家・書家などが、本名以外につける風雅な名のことである。
雅号 – Wikipedia
そんな伊藤蘭さんの実家は、お金持ちという噂があるようです。
伊藤蘭さんの実家がお金持ちと言われる理由について詳しく見ていきましょう。
- 政治家だった曾祖父
- 母方の実家は仕立屋で繁盛していた
- 両親ともに裕福な家庭で育つ
理由①:政治家だった曾祖父
伊藤蘭さんの曾祖父は第15代広島市長を務めていた、伊藤貞次(ていじ)さん。
元キャンディーズのメンバーで女優・歌手の伊藤蘭は曽孫、俳優の水谷豊は伊藤蘭の夫、女優の趣里は玄孫にあたる。
伊藤貞次 – Wikipedia
父を早くに亡くした貞次さんは家計を支えるため、地元・新潟から東京へ進学(高校・大学)します。
そして卒業後はキャリア官僚となり内務省で働き、のちに広島市長となりました。
まさに努力の賜物ですね。
家族でお世話になった親戚一家には多額の仕送りをしていたそうで、律儀な人柄が伺えます。
広島市長退任後は満州で事業経営をし、そこで得た利益で東京の吉祥寺に大邸宅を建てました。
このことから、裕福な暮らしだったと分かります。
理由②:母方の実家は仕立屋で繁盛していた
伊藤蘭さんがお金持ちと言われる理由は、母方の実家の仕立屋が繁盛していたことです。
祖父は腕の良いテーラーで、北海道・函館で開業しました。
外国人を中心に需要があり、さらには百貨店からの大口注文などかなり稼ぎが良かったよう。
一度、天災で店も家も消失してしまいますが、家族や一緒に働く職人さんたちの生活を守らねばと
すぐに家業を再開させたそう。
母方の祖父は新潟から函館に移住し、テーラーを開業。細かな注文にも丁寧に応じるなど堅実な仕事ぶりで、デパートから次々と注文が舞い込む繁盛ぶりだったという。函館大火で店を失うが、すぐに再建するほどの根性の持ち主だった。
マイナビニュース (mynavi.jp)
責任感の強さを感じます。
力強い父親のエピソードから、経済的には豊かであったと想像します。
理由③:両親ともに裕福な家庭で育つ
伊藤蘭さんの父は公務員の家系、母は家業が繁盛していたということで、両親ともに裕福な家庭で
育っているようです。
戦争により生活は一変してしまったようですが、母は家業の洋裁を受け継ぎ、洋裁の教師となり
成績優秀だった父は公務員として働いています。さらに、曾祖父から代々受け継いだ財産(土地)も
所有していたようですので、決して貧しい暮らしではなかったと予想します。
のちに土地を売却したお金でアパートを購入し、家賃収入を得ながら家計を支えていたようです。
伊藤蘭の実家の住所はどこ?吉祥寺って本当?
伊藤蘭さんは東京都武蔵野市吉祥寺北町出身で、小学生の頃に杉並区西荻北へ引っ越しました。
キャンディーズ時代は実家暮らしで、たくさんのファンが実家に来ていたそう。
実家までファンが来るなんて、今じゃ考えられない現象ですよね…!
その後、キャンディーズが解散後は武蔵境へ引っ越しているようです。
現在の詳細は不明でした。
伊藤蘭の家族構成!家族とのエピソードも解説!
伊藤蘭さんは、両親と兄1人の4人家族です。
1989年に俳優・水谷豊さんと結婚しました。娘の趣里さんも女優として活動しています。
- 父親:公務員(厚生技官)で単身赴任していた
- 母親:洋裁学校の教師
- 兄弟姉妹:兄が1人
- 夫:俳優の水谷豊
- 娘:女優の趣里
父は公務員(厚生技官)で単身赴任していた
伊藤蘭さんの父親は自身の父から教わった油絵の才に加え、勉学面も優秀だったそう。
戦時下は、多摩陸軍技術研究所に勤める軍属(技術者)でした。
陸軍技術研究所(りくぐんぎじゅつけんきゅうじょ)は、陸軍関係兵器の調査研究・試験を行う日本陸軍の機関である。
陸軍技術研究所 – Wikipedia
その後、伊藤蘭さんが生まれてからは単身赴任で千葉へ。
厚生技官として千葉の役所で働き、精神疾患のある人などへ絵や陶芸を教えていました。
そこでは、戦争により傷ついた方と多く関わっていたそうです。自身の経験と重なる部分もあったのでしょう。
その一方で、離れて暮らす家族とは疎遠になっていったといいます。
母は洋裁学校の教師
伊藤蘭さんの母親は仕立屋を営む家庭に生まれました。
華やかな世界に憧れがあったようで、そのチャレンジ精神で地元北海道から上京し、
吉祥寺の洋裁学校へ入学します。しかしその直後、太平洋戦争が勃発し生活は一変。
戦後は自身が卒業した洋裁学校の教師として働き、家計を支えました。
キャンディーズ時代、伊藤蘭さん目当ての大勢のファンが自宅に集まっていたそうですが、
そんなファンにも優しく接しており、顔見知りから親戚のような関係になった方もいるそうです!
うちの母もファンの方とささやかな交流があったようです。わきまえている方々も多く、普通に話をしたり、犬と一緒に写真を撮ったり。何回も来ているうちに、顔見知りになった方もいて、なんか遠い親戚みたいな感じになっていました。
文春オンライン (bunshun.jp)
明るく、優しいお母さんであったと想像できます。
兄弟姉妹は兄が1人
伊藤蘭さんの兄は6才年上で、名前は路似(るい)さん。野球好きの父親が名付けたそうです。
現在は杉並区内でシンガポール料理店「夢飯」を経営しており、2024年で開店24周年となりました。
長い間、愛されているお店のようです。伊藤蘭さんもきっと食べに行かれていることでしょう。
伊藤蘭さんのご家族は、手に職をつけた職人気質の方が多いですね!
夫は俳優の水谷豊
伊藤蘭さんはドラマ「あんちゃん」の共演がきっかけで、1989年に俳優の水谷豊さんと結婚しました。
「結婚願望はなかった」という伊藤蘭さんでしたが、水谷豊さんと結婚を決めた理由として、
水谷豊さんが「人として尊敬できる」こと、「自分と同じ価値観や感性を持っていたから」と話しています。
豊さんは、人生の先輩であり、友人であり、共演者でもあったんですけど、長い時間をかけて向き合っていく中で、人としても俳優としても尊敬できる人だと確信できたからです。
文春オンライン (bunshun.jp)
また、これまでけんかしたことは一度も無いそう。仲の良さ、そしてお互いを尊重し合う様子が伺えますね。
娘は女優の趣里
伊藤蘭さんは1990年に女の子を出産しました。現在女優として活躍している趣里さんです。
趣里さんは4才からクラシックバレエを始め、本格的にバレリーナを目指していましたが、度重なるケガにより断念。
その後、軽い気持ちで入った演技学校で演技の面白さに目覚め、女優を目指します。
女優を目指す一方で、自分が「2世芸能人」になることへのプレッシャーも感じていましたが、
演技学校講師からの強い後押しもあり、2011年に女優デビューしました。
両親と同じ道に進むのであれば「二世」となることから生半可な覚悟ではできないという重圧も感じていた中で、「でもお前は大丈夫だから頑張れ。女優を続けていけ」との塩屋の強い後押しによって女優を目指すことになる。
趣里 – Wikipedia
趣里さんは小さいころからキャンディーズの音楽に触れていたそうで、カラオケに行った際は
一緒にキャンディーズの曲を歌ったりも!趣里さんは声質が伊藤蘭さんに似ているとのこと。
カラオケに行った時も「最後、キャンディーズの曲で締めようか」と一緒に歌ったりします。声の質が私に似ているので、歌っていると普通にキャンディーズに聞こえて、おもしろいです(笑)。
文春オンライン (bunshun.jp)
母娘の仲は良好のようです。
伊藤蘭の実家に対するネット上の声
伊藤蘭さんの実家に対する、ネット上の声を紹介します。
45年前の衣装がこんなにキレイに保管されているのは、素直にすごいと思いました!
こまめにお手入れされていたことが分かります。洋裁を仕事にされていたお母さまだからこそ、
この状態を保てたのではないでしょうか。
2023年、デビュー50周年を迎えた伊藤蘭さん。これからもステージで輝く姿を見せ続けてくれることでしょう!
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